われわれの苦悩や犠牲に
意味を与えることができるものは
「幸福」ではなかった。
ヴィクトール・E・フランクル
『夜と霧』より
これを書いている7月の終わり、オリンピックでは前半戦が繰り広げられており、ニュースで断片的にではありますが、連日の日本代表の活躍について知ることができ、嬉しい気持ちになることが多いです。
その中で、最も印象的に感じられたのは、柔道女子52キロ級の優勝候補、阿部詩選手が負けた時、泣き崩れて立ち上がれなくなってしまった場面でした。それを見た時、その日、その瞬間のために賭けてきたものの重みが胸に迫って、ある意味勝利やメダル獲得以上に心を揺さぶるものがありました。
それからいくつかのメディアの記事を見て、必ずしもその場面が好意的に受け止められているわけでもないこと、敗者の流儀、他選手への配慮などの点から批判されたりもしているということも知りましたが。私としては、極限の瞬間には感情が爆発することもあるだろうし、スポーツを観る側としてそういう場面からも感動をもらったりするので、阿部詩さんには、あまり気にして欲しくないなと思いました。
スポーツって不思議ですよね。多くの人が取り組み、真剣に勝利を目指して努力を重ねながら、そのうちほぼ全員が、どこかの段階で「負け」で終わらなければいけないですから。とすればスポーツの本質は、「勝ちを目指す」ことの中にあって、「勝ち」そのものの中にあるわけではないのかもしれません。
0コメント