目覚めによって
救われていく。
いのちが目覚めを
要求している。
佐野明弘
曹洞宗の僧侶のお話をインターネットで聞いたり、本で読んだりするのが好きです。ネルケ無方さんというドイツ出身の禅僧や、藤田一照さんというアメリカで長く活動しておられた方など、魅力的な方がたくさんいます。彼らの経歴からも分かるように、禅の仏教は世界中に広く知れわたり、しかも実践的に学ぼうとする方も多いようです。禅も究極的には信仰だと思いますが、入り口としては「座る」という極めて普遍的な実践ですし、姿勢であったり、考え方であったり、いろいろとやるべきこと、踏むべきステップというものがわかりやすく、しかもそれを実生活に活かせるような感じもある、という魅力があると思います。
私がもっとも尊敬している真宗の先生の一人である、佐野明弘さん(石川県光闡坊住持)という方は、かつて曹洞宗の修行僧でした。それから真宗に出遇い、転身なさったわけですが、その理由は、「救われないと思ったから」だったのだそうです。(先生の知り合いの方から聞きました)
二つの宗派を比べてどっちがいいなどと言うことはできませんが、確かに違いはあるのだと思います。浅学の身で分不相応を承知で言うと、「私は私のままで救われている」ということに目覚める道と、「私が救われることは絶対にない。その私を救おうという願いがある」ということに目覚める道の違いでしょうか。
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