あなたがたの日々の生活こそ
寺院であり、宗教である。
ハリール・ジブラーン「宗教について」より
高校に入学してしばらく経った頃、担任の先生に呼ばれて、こう言われました。
「あなたは頑張れば『〜大学』に行けるよ。『〜大学』を目指してみないか」
そこは、自分が目指すことなど想像したこともなかったような「難しい」学校で、先生にそんなことを言われ、驚き、同時に嬉しい気持ちが湧いてきたことをよく覚えています。あの時確かに先生は、「学力の高い大学に行くことはいいことだ」という、疑いのない信念をまっすぐに僕に伝えてくれました。そして僕はそのメッセージを、自分なりにではありますが確かに受け取ったのです。
「宗…もとになるもの。中心となるもの。
教…おしえ。みちびき。いましめ。」(「新漢語林」)
教わることによって、意識しないほどに血肉となった、生活の中心となる信念を「宗教」と呼ぶとすれば、先生が僕に伝えてくれたのは「能力主義」という名の、一つの宗教と言えるのかもしれません。
よく言われるのは「資本主義」こそ現代の宗教だ、という文言ですが、たしかにそのことを中心として、ありとあらゆる「正しさ」を信奉する宗教に、私たちは浸かっているのでしょう。その中で親鸞聖人の教えは、あらゆることを「そらごとたわごと、まことあることなき」(歎異抄)と喝破する、いわばもっとも「無宗教的な宗教」と言ってもいい気がするのです。
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