私どもは
累々たる戦争犠牲者の
その悲しみの声によってしか
目覚めることができない
和田稠『世のいのり・国のいのり』より
近頃、日本が軍備を拡張することについての話題をよく聞くようになってきましたね。防衛費を大幅に増やすことが閣議で決められ、財源の問題について、さまざまな議論をメディアで目にする機会が増えました。その中で、そもそも敵基地攻撃能力を持ったり、軍備拡張をすべきでない、という意見を耳にする機会はあまり多くないように思います。この不穏な情勢からすると、そこは当然という空気を感じます。
以前ある学習会の資料としていただいたのですが、昭和12年に当時の有名な真宗の僧侶によって書かれた、迫る戦争への心構えを説く小冊子のコピーが手元にあります。そこでは、中国の我が国に対する敵意、それに対して日本は相当我慢をしてきたということ、戦いは始まっており既に後戻りできないことなどが語られています。切迫の度合いは違えど、そこに漂うやむを得ない空気は、現在と通じるものを感じます。すぐれた宗教者でも、その時代の空気の中で、戦いを扇動する側に回ってしまうということに驚きます。恐らく戦死者が出ているような状況になってしまえば、誰もおおやけに「この戦争は間違っている」などとは言えなくなってしまうのですね。国のために死んだ人間がいるという事実はそれほど重いことなのでしょう。だから、誰かが死ぬ前に、どんな戦争の準備もして欲しくないと、言っておこうと思います。
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