そもそも、
「生きる」って
何なんでしょうね。
宮野真生子『急に具合が悪くなる』より
生きるとは何か、という問題はつかみどころがなくて難しいですが、「生きる」という言葉の使い方について考えてみると、おもしろいと思っています。
学校で習うのは、「主語(〜が)+ 動詞(〜する)」という日本語の原則なので、当然、「生きる」という動詞にも主語が付いて、「私が生きる」「あなたが生きる」という言い方になりますよね。
しかし、一歩日本語の枠から出てみると、言葉にはもっといろんな形があるようです。
たとえば、インドの言葉「ヒンディー語」には、「与格」という古代からの言葉の使い方が残っているそうです。たとえば、「私はうれしい」と言う時には、「うれしさが私にやって来てとどまっている」という言葉づかいになるということです。(『「利他」とは何か』集英社新書より)「与えられた」という意味が強いですね。
この言葉づかいを知った時、「私が生きる」ということに関しても当てはまると思いました。私たちの誰もが、自分の意志で生きることを始めたのではなく、「生きることが私にやって来てとどまっている」状態だというのが実際だと思うのです。自分の力でも意志でもなく。
本当のヒンディー語ではどうなのか知りませんが。
言葉づかいを変えてみるだけで、「生きる」ということに関しても、少し違った見方ができそうです。
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