役に立たないものは
愛するほかはないものだから
寺山修司 「水妖記4」より
もう何年も、娘が小さい頃から我が家にいる、ぬいぐるみがあります。まあたくさんいるのですが、特にかわいがられているものは、もうくたくたのぺったんこになっています。どうも「中身の詰め替え」などをお店にお願いすると、新しく買うよりも三倍くらいお値段がかかってしまうようですし、でも「この子」じゃないと意味ないし… 最近の悩みです。
これが、たとえばもっともっと役に立っている、ドライヤーやフライパンや掃除機なんかでも、もう使えないとなったら、なんのためらいもなく買い替えるのに… ぬいぐるみは買い替えられない!
役に立つ、ことと、愛する、ことは、どうも結びついていないようです。
これを書いている6月の終わり。子どもたちは期末テストの勉強で死にそうになっています。見ていると、自分もそうだったなあ、と当時の気持ちを思い出します。別に「役に立つ」人間になろうとしていたわけではありませんが、何か自分で納得したいと思って頑張っていたような気がします。それで納得が訪れたことはついにありませんでしたし、社会の「役に立つ」人間にもなれませんでしたが。
でも、この自分の「役に立たなさ」を、だんだんと受け入れるにつれ、じゃあ「愛するほかはない」と、納得するようになってきた気がします。
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