心を相手にしても解決がない。
人間の心というものは解決のないものです。
安田理深『信仰についての対話①』より
漫画というのは、強く子どもの心を惹きつけるもので、特に次女と三女は、お小遣いの多くの割合を漫画本に注ぎ込む「蒐集家」と言ってもいいレベルです。本棚はもう漫画で埋め尽くされています。まあ私自身もそんな子どもだったのですが。
以前次女が、「もうこの漫画さえあれば他はいらない、と思えるくらいに好きになっても、少し時間が経つとちょっと冷めてきたりして、また次に興味が移っていく」と嘆いていました。あれほど好きだったのに、と感じる時に寂しさを伴うんですよね。これは自分にもよくわかるのです。漫画にしても、映画にしても、音楽にしても、「これはもう一生好きだな」という出会いは、若い頃特によくありました。しかしそれはその時の気持ちであって、どんどん心は変わっていってしまうのです。本当に不思議なことですが。
私たち人間は、「自分の心」を自らの本体のように考えて、その要求にかなうものを、日々取り込もうと努力しているようです。要求に叶えば「うれしい、幸せ」と言い、要求にかなわなければ、「辛い、悲しい」と言います。なかなか、心そのものの信用性を疑おうとはしません。「心を満たす方法」「心を落ち着かせる方法」とのうたい文句はよく目にしますよね。では仏教の立場はどうか、と問われれば、「心を相手にしない」立場だと言えると思います。おもしろいですね。
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