花は咲く
誰が見ていなくても
花のいのちを
美しく咲くために
高田敏子「美しいものについて」より
ここで以前紹介させていただいたことがありますが、鈴木章子(あやこ)さんという、北海道のお寺に住んでおられた女性が書かれた『癌告知のあとで』(探究社)という本を、折にふれて読みます。癌の告知を受け、それが転移を繰り返し、苦しい毎日と、死の自覚の中で、いよいよいのちを見つめる目が澄みわたっていく過程が、主に詩の形で表現されています。たとえばこんな詩があります。
雑草
何故
一株のシャクヤクの為
ペンペン草もぬくのか
はこべ クローバー
名も知れぬ草々を抜くのか
みんな夏の一日
懸命に咲いているのに…
私の感ずる美とは
なんなんだろう
ハッとさせられる言葉です。シャクヤクだけが咲いている状況を美しいと感じるのは、人間だけの、まわりの自然を「どうにでもできる」と考えている者の感じ方なのかもしれない、と。
誰が見ていなくても、誰に顧みられなくても、生まれ、生き、その時、その場所に在るということが、美しさの中身の全てであるという、当たり前のことに気づかせてくれる言葉は、僕にとって本当に貴重です。
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