朝露と腐葉土と星々と月の
ヒトの言葉よりも豊かな無言
谷川俊太郎「大岡信を送る」より
永遠に続くかと思われた夏の暑さもようやく和らいで来ましたね。この季節、眠る前に窓を開けて本を読んでいると、外から虫の声が聞こえていたりするのが好きです。そんな時です、つい感傷に捉えられて、豊かさとはなんだろう…なんて考えたりするのは。
人が作ったものには意味があります。カバンにも車にも、職業にも交友関係にも。意味の世界では、より多くのものを持つ人は豊かだし、幅広い交友関係、地位の高い(とされる)職業を持つ人が豊かだと考えられたりします。一方、人が作っていないものには意味などないようです。植物も、動物も、鉱物も、ただそこに生きるものとして、在るものとして、豊かさなどの意味の、向こう側にいます。
「あん」という映画で、樹木希林演じるハンセン病患者が、人生の大半を療養所の中で過ごしてきて、死の間際につぶやいた言葉があります。「私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私たちは、私たちには、生きる意味があるのよ」(ゆっくり、読んでください)
誰よりも美味しくあんこを作ることのできた彼女は、外の世界に触れることができず、何も持たず、「意味の世界」におけるいかなる豊かさとも無縁でした。しかしそれとは無関係に、意味の向こう側の世界の豊かさには、たっぷりと触れていたのだと思います。
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