4月 今月のことば

人と生まれた
悲しみを知らない者は
人と生まれた
喜びを知らない
これが浄土教の人生観である
金子大栄


 高史明さんという作家さんがいました。ふと気になって先日調べてみたら、昨年の7月に91歳で亡くなっておられたのですが。
 高さんは昔、12歳だった息子さんを自死で亡くしています。非常に繊細な感性を持っていた息子さんは、死後、書き残していた大量のメモ書きが見つかり、『ぼくは12歳』(岡真史 著)という本にまとめられ、発刊されています。
 高さんは息子さんの死後、親鸞、特に歎異抄に深く傾倒され、著書や講演など、親鸞や真宗の教えについて語っておられることは一応知っていました。しかし、私自身、それ以上深く知ろうとはせず、高さんの著書や講演記録を読もうとはしませんでした。高さんがなぜ、どのように、深い悲しみを通して親鸞に出遇っていったのか、ということに関心が向かなかったのです。
 正信偈の最後に「拯済(じょうさい)無辺(むへん)極(ごく)濁悪(じょくあく)」という一句があります。「拯」とは「すくいあげる」つまり、水に沈もうとする人を助けあげる、という意味になります。「救(すく)う」とは「拯(すく)う」ことだったのだと、ようやく実感をもって理解できる気がしています。
 ゆっくり時間をかけて高さんの言葉に出会っていきたいと思っています。

西方山 極楽寺

大阪府八尾市にある、真宗大谷派のお寺です。

0コメント

  • 1000 / 1000