4月 今月のことば

我欲手伝う仏在さず
池田勇諦


 先月号から、仏教について書きたい気持ちが続いています。珍しいことですが😅
古くは飛鳥時代から、長い歴史の中でお寺はいろいろな受け止められ方をしてきたのでしょう。真宗寺院にはまず無いことですが、さまざまな「ご利益」をうたうお寺もあります。家庭円満、縁結び、学業成就、無病息災…そのお寺にまつわる特殊な出来事が伝説となり、語り継がれる中で「〜なご利益がある」ということになっていったようです。そういったことがお寺の経営に役立つこともあるのでしょうし、一か寺一か寺の歴史に対して何も言うことはありません。しかしそれにより、「仏様に何か願い事をする」のが仏教だと思われてしまうのだとすれば、一番大切なことを見失ってしまっている気がして残念だと思うのです。
 その昔、国の王子だったお釈迦様が、衣食住をはじめ、あらゆる人間の欲求が満たされた、いわばご利益の成就しきった生活を与えられていたにも関わらず、「この生活は本当の満足をもたらしてはくれない」と見定め、出家したのが仏教の出発点でした。私たちの願い事や、人間の価値観を「執着(しゅうじゃく)」として、むしろ苦しみを生むこともあるものとして、注意深く距離をとって見つめるのが仏教であるはず。
 いや、ご利益も魅力的ですけどね。例えば交通安全のご利益で、一度くらいゴールド免許欲しいですし。

西方山 極楽寺

大阪府八尾市にある、真宗大谷派のお寺です。

0コメント

  • 1000 / 1000