つまずいたときに、
何か人間のことが
わかるということが
出てくるのではないかと思います。
石牟礼道子
鈴木章子(あやこ)さんという、昭和の時代に生きた聞法者がいます。彼女は、北海道知床半島のそばのお寺に住み、併設する幼稚園の園長先生をしていました。42歳の時に乳がんを患い、転移を繰り返し、昭和63年に47歳で命を終えられたのですが、彼女が癌告知を受けた日のことを語ったエピソードが、とても印象的です。
胸の痛みを覚えて病院の検査を受けた一週間後、外科の先生から電話がかかってきました。
「鈴木さん、床に足をしっかりつけて聞いてください」と言った後、次の言葉を言い淀む先生に、鈴木さんは「先生、私癌だったんでしょう」と言ったのだそうです。「ええ、残念ですけれど」と先生が言い、悪性腫瘍だったこと、二日後に手術をすることを告げると、鈴木さんの口から出てきた言葉は、
「先生、ありがとうございます」でした。そして、胸から込み上げるものが、温かい涙となってあふれてきたのだそうです。それは、「ああ、私、人間だったんだ。私、生きていたんだ」という実感でした。
母として、妻として、園長先生として、落ち込んでは自分を否定したり、褒められては鼻を高くしてみたり、「忙しい、忙しい」と踊らされるように生きてきたそれまでの日々。その中ではなかなか見えなかった「いのち」に呼び返された日のことを、その後の闘病生活の中で続けられた聞法と詩作の出発点として、鈴木さんは大切にしておられます。
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